1年前、私はあのニュースを研修所の軟禁生活の中で聞きました。
すっかりTVから疎遠になっていた私は、幸か不幸かあの衝撃的な映像をリアルタイムで目撃せずに済みました。第一報が伝聞であったため、私は目の前の事柄を優先させたのです。「最悪の事態は往々にして性質の悪い冗談のように聞こえる」と云われますが、私はその時点でこれが世界の構造を根底から揺るがす事件になろうとは思いもしませんでした。
実際には(皆さんご存知のとおり)、アメリカは報復としてアフガニスタンで掃討作戦を展開し、日本もその片棒を担ぎました。世界は多分、あの事件によって大きく動いたのでしょう。
しかし実は、私は今でもあの事件によって世界が変わったということを信じることが出来ずにいます。
一体あの事件で何が変わったでしょう?
世界は1年前も今も、非対称のままです。
同時多発テロで亡くなった人の命と、アメリカの「誤爆」によって亡くなった人の命は、明らかに重さが異なるように思えます。それは、炎天下の車の中に放置されて亡くなる子供の命と、地雷で亡くなる子供の命でも同じです。
「命の重さ」というものの非対称は、何一つ変わっていないどころか、かえって不釣合いが進んだようにさえ思えます。
こんなことを指弾しても(自分がその非対称の中にいる限り)無意味なのですが、しかしどうも釈然としません。かといってテロリストになる勇気もありません。
観念的なものにとらわれすぎているのでしょうか?
しかし、「自軍の兵士の損害を最小限に、敵への損害を最大限に」というまるで経済原則のようなお題目を掲げた世界最大の軍隊は、どう考えても「自由の国」の軍隊だとは思えないのです。
非対称の只中で、その非対称について思いを致すことしかできない私ですが。
アフガニスタンの死者、ニューヨークの死者、いずれにも冥福を。
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