強固なロジックの無限の反復

2003年1月18日(Sat) 晴

ある一時期の思い入れ

 某T氏から提供された映像を観て、なんだか色々と切なくなってしまいました。
 その昔、アニメーションというものに対してひとかたならぬ思い入れを抱き、一時はその世界に入ろうかとも思い悩んだことのある私ですが、今はもうずいぶんと距離を置くようになっています。
 で、そんな眼で今のアニメを観てみると、夢中になっていた頃とは違った見方をする自分に気づいてしまいます。
 アニメは観る側が色々な要素を補完して観る形態である、というのは某アニメ監督の言ですが、それは逆にいえば「ある約束事を了解していなければ観ることの出来ないメディア」だとも言えるのです。そして、その「約束事」を理解するためには、作品内部で展開されるドラマに対する「思い入れ」が必須なのです。
 多感な思春期ならば、想像力を武器に自分をそのドラマの内部に没入させ、或いはキャラクターに対して感情移入することで、「約束事」という障害を容易に乗り越えることが出来たのですが、ある程度ものの見方が定まってきた私のような人間には、その障害を乗り越えるのが次第次第に億劫になってきつつあります。
 簡単に言えばアニメに対する見方が即物的になった、ということになるでしょうか。
 勿論、大人になったからといって必ずしもそうなるとは限りません。柔軟な感性を持ちつづけ、30代になってもアニメに積極的にコミットしつづけられる人というのも世の中にはたくさんおられますから。
 ただ、自分は最早そこにコミットできる柔軟な感性を失ってしまったのだなあ、と思うのです。
 一口に「アニメファン」と言っても、色々なタイプの人がいます。
 アニメで展開されるドラマ、形作られる独特の映像美、或いは声優による演技など、「アニメファン」と呼ばれる人はそれぞれに自分が求めるものをアニメに見出し、それを追い求め、時にはそれを模倣します。その思い入れがアニメを再生産しつづけてきたことも紛れもない事実でしょう(某G社の某A監督などはその典型)。
 しかし、果たしてこれからもそうでしょうか?
 私は現場を知りませんから滅多なことは言えませんが、作品からはなんとなく以前のような活気を感じることが出来ません。
 しかし、今のそんなアニメを観て、しっかりと思い入れを持っている人もいるでしょう。
 たとえそれが一時期の思い入れだとしても、それがまだアニメを支えてくれているのです。
 私たち団塊ジュニア世代は、その数の多さゆえに立派に市場を下支えする役目を果たしてきました。今は20代後半〜30代前半となった元アニメファンやその周辺だったという人たちのおかげで、「ガンダム」のようなヒット商品も確かにあります。しかし、それがアニメというメディアにとって良いことだったのでしょうか。
 答えはわかりません。
 ただ、一時期の思い入れだけでアニメというものが成立しているのならば、これから先少子化が更に進む中で危機にあるのは間違いないでしょう。たかだか一本の作品を観ただけでそこまで断言してしまうのもどうかとは思いますが。

 しかし、驚いたのは、自分はまだこんなにもアニメが好きだったのか、ということ。
 なんのかんの言いながらも、結局最後まで付き合ってしまった自分に一番驚かされました。
 ある一時期の思い入れも、捨てたもんじゃないですね。

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