強固なロジックの無限の反復

2003年3月24日(Mon) 曇

センチメンタル

で、その後の展開を見ても”事実”、あるいは”真実”というものに、いかにぼくらがアクセスできないか、知りえないかということに暗澹となります。
   坂本龍一
 ―「反定義 新たな想像力へ 辺見庸×坂本龍一」より

 TVでは相変わらず戦争の話題で持ちきりです。
 やれ首都まであと何キロだの、どこそこで戦闘があっただのという情報が溢れ返っています。まるでスポーツ試合の途中経過でも見ているような印象です。
 メディアで伝えられることが100%真実だなどと呑気なことを言っている人はいまどきいないでしょうが、一方でメディアに影響力があることを否定する人もいません。
 こういう時には「やたらと情報通」な人が職場やクラスに必ず出現するものですが、そういう人が真実を知っているわけでは決してないでしょう。ちょっと考えれば誰でもわかることですが、その人がいくら情報を網羅していたとしてもそれはメディアを通じて得たものに過ぎず、既にコピーされ編集された情報を、自分で編集しなおしてしゃべっているに過ぎないのです。得意になって吹聴するのは勝手ですが、一体そこで何が起こっているのか、実際には何一つわかっていないのです。勿論、私だってそうなのですが。
 もしかしたら、その場に居合わせている記者たち、さらには現に戦闘行為を行なっている兵士たちでさえ、それは同じかもしれません。その目で見たとして、耳で聞いたとして、身体で感じたとして、それがどこまで真実なのか。
 結局私たちには戦争で何が起こっているのか、その一部でさえまったく理解できないのだ、という気分になります。

 せめて、想像することにします。センチメンタルだと笑ってください。
 レーダー画面の見すぎで疲れ目になった兵士の肩こり。
 空爆される街の住民の寝不足。
 暗視装置の視界に映る敵兵を笑う兵士の昂揚感。
 絶望的な抵抗戦を命じられた兵士の諦め。

 どうしても想像できないのは、逐一入ってくる戦況を聞く、両国の大統領の心境。

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