ひょいと思い出したように昔の画を見て凹むわたくし。
…これ描いたのもう5年前ですわ(汗)。
何に凹むって、この「いっしょけんめさ」。
当時わたくしは就職にあぶれた世間知らずのぷーたろーでした。
自分では何ひとつできなかったくせに、言うことだけはいっちょまえの、愚かな若者だったのです。あの頃はなんだか知らないけれど、やたらといっしょけんめだったなあ。
まだ自分には何か可能性があるかもしれない、努力すればもっと高みに上ることができるかもしれない、となんだかそんなことをぼんやりと考えていたような気がします。
今の画とあの頃の画を比べると、悔しいけれどもあの頃の画のほうが面白いのです。努力をずっと継続していたならそんなことはないはずですが、技術的にもあの頃がピークだったようです。今はそれなりにこなれはしましたが、なんだか面白みに欠ける画しか描けないような気がします。
一体何が違うのか。
結局、妥協してしまったのでしょう、色々な現実に。
この画を描いた1年後、私は以前の職場で働き始めていました。モラトリアムは終わったのです。
結局その後も諦めきれずにずるずると画は描いていますが、位置付けは大きく変わりました。それまでは画は私のアイデンティティーを構成する重要な要素だったのですが、今はごくごく一部でしかありません。それだけ色々な経験をした、ということの証左でもあるのですが、「いっしょけんめ」ではなくなったような気がします。画に対しても、また自分というものに対しても。そもそも、本欄のタイトル「強固なロジックの無限の反復」からしてそうでしょう?。ずいぶんと「テキトー」な人間に成り果てたものです。
しかし、昔を懐かしんでも仕方がありません。
目の前の現実といかに渡り合い、折り合いをつけるか、日常とはその繰り返しでしかありませんが、せめてその中に小さくてもいいから喜びを見つけられる、そんな人間でいたいものです。
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