本屋で立ち読み。
団塊の世代と団塊Jr(つまり私たちの世代)を糾弾した本を発見。ほほぅ。
ま、世代論なんて血液型占いとか星占いみたいなもんで、論拠に乏しいものが多いのであまりあてにはしていませんが、団塊Jrをターゲットにしたものは珍しいと思ってちょっと手にとってみました。著者は間にはさまれた「くびれの世代」の人。
まあまあ当たっているのは団塊Jrに流れる「諦めの空気」でしょうか。政治なんて誰がやっても一緒、決まっちゃったことはしょうがない。どうもこの「まったり感」が著者には気に食わないようです。「くびれの世代」は数で絶対不利を蒙っているのに、「なんとなく」で動く下の世代である団塊Jrに決定権を握られるなんてヤダ、と言ってるようにも見えますが。
団塊Jrは単なる「物言わぬ衆愚」でしょうか?
確かにそうかもしれません。団塊Jrは世代的に脚光を浴びたことのない世代なのです。
中学・高校時代にはバブル全盛、大学生が派手な生活でトレンドリーダーとしてメディアの主役でした。しかしバブル崩壊とともに大学生になった頃には、コギャルを始めとする高校生にメディアの関心が移ります。世代内でライフスタイルが細分化した団塊Jrの世代は、社会人となってもマーケットの中心になることはなく、もはや団塊の世代のような「世代としての一体感」などないのです。「まったり感」もそんなところに起因するのかもしれません。
ま、上の世代が団塊Jrにいらだつのもよくわかります。団塊Jrに当たる私自身、自分の同世代さらには自分自身に対してもいらいらすることはよくありますから。
しかし、もう「世代でものを語る」というのは不可能かもしれませんね。
就職とか結婚とかいった人生のイニシエーションに対する圧力は以前ほど強くない分、同じ世代でも人生の過ごし方がずいぶん違うのですから。すでに結婚して子供までいる友人もいれば、まだ学生で勉強中の友人もいる。私たちよりも下の世代ではこれがもっと進むでしょう。ものの見方や考え方も同世代の中に共通したものなどなくなり、全体として捉えどころはなくなるでしょうが、個々の人間に決して決まった考えがないわけではない、と私は思います。
ま、立ち読みした本に文句をつけてもしょうがないですがね(笑)。
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