強固なロジックの無限の反復

2003年7月31日(Thu) 晴

わかりあえぬもの

 先日購入した押野武志著「童貞としての宮沢賢治」(ちくま新書)を仕事明けの寝ぼけた頭で読破。タイトルはかなり刺激的ですが、なかなか読ませるテーマです。ま、賢治の全作品を読み尽くしたわけでない私がこう言うのも妙な話ですが。
 生誕百年のときにちょっとしたブームになって、映画が何本か作られたり、関連書籍がいろいろと出たりしましたが、どうもそのときは違和感を感じました。特に、賢治の作品に「癒される」というのは、なんか違うように感じました。
 その疑問の答えがちょっとわかる、そんな本でしょうか。
 賢治が宗教的な動機によって禁欲を志していたのではなく、むしろ現代的な精神病理…例えば摂食障害とか醜形恐怖とか…によってそうせざるをえなかったのではないか、という仮説はなかなか説得力があります。確かに、宮沢賢治という人は写真で見る限りあまりいい男じゃないですし(失礼)、性交渉に対する恐怖があったのではないかというのも、まあ同じ境遇にある私にはある程度わかります(笑)。
 もし賢治の作品に「癒される」要素があるとするなら、「あ、同じ事で悩んでる人がここにもいる」という安心感なのでしょう。しかし、作品中に提示されているのは問題の解決策ではなくて問題そのものなので、「癒し」を求めている人にはそれ以上何ももたらさないでしょう。

 かくもわれらはわかりあえぬものなりしか。

 したがってテーマは若干後退(笑)。

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