強固なロジックの無限の反復

2003年9月8日(Mon) 晴

情熱

 週末はペターとセブの秒差バトルに熱くなりました、と書きたいところですが、やっぱり数字を追うだけじゃつまんないです、WRC。今年は本格的に若手が台頭してきただけに、彼らの走りをなかなか映像で見られないのが悔しくて。
 リタイアとか失格の内情がちょっと時間を置かないと入ってこないのももどかしい限りです。オーストラリアでのマーカス=グロンホルムのリタイアはマシンのダメージによるものか、それとも諦めてしまったのかが今の段階ではよくわかりませんし、マルコ=マルティンのレギュレーション違反の件も何がなにやら。
 ただ、かつて自分が持っていた情熱が少しずつ戻りつつあるのが少しうれしいのです。

 かつてアニメを追うことに多大な情熱を費やしていた私。勿論、本当に濃い人たちから見れば些細なレベルでしたでしょうが、それでも毎週追いかけるとなるとそれなりに労力を払わなければなりませんでした。
 ところが、ある時点を境にアニメに対してそのような情熱を傾けることはぐっと少なくなったのです。労力をかけることに対して喜びを感じなくなったのかもしれません。「アニメが面白くなくなった」とよくこぼしていました。それは放映される番組の質が落ちたのかもしれませんが、それよりもむしろその内容に対して共感を持って観るということが出来なくなってしまったことによるためだ、と今は思っています。ま、原因の一つにはこちらが撮影や演出などのテクニカルな面にまで知識をもってしまったことがあるでしょうが、まあそれは別の話です。
 とにかく、アニメに対する関心を失ってしまってからの私は、継続的にあるひとつの分野に興味を注ぐ、ということが出来なくなってしまっていたのです。
 WRCには久々にこの種の継続的な情熱を注ぐことが出来ています。レースのリザルトだけではわからないドラマを味わうために、書店に雑誌を求め、DVDを買おうかどうしようか迷っているわけです。ここには確かにレースというドラマそのものの面白さもありますが、同時にその情報を追うことそのものにもゲーム的な面白さがあるのです。「待つ」という行為が情報の希少性にプレミアムを付与し、情熱を継続する原動力になるのです。
 余談ですが、アニメは最近すぐにDVD化されてしまいます。この傾向はそれを追い求める面白さを低下させ、アニメの相対的価値を減退させてしまうように思います。ま、価値が減退しようが高揚しようが、どうせ観ないんですが。
 まあ、マニアックと言われればそのとおりなんですが、私はこの種の情熱がとても好きです。
 人は常に、何かを追い求めている存在ですから。

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