しかし、「恋愛に不向きな人」である私は一体どうしたいのでしょうか。
恋愛をしたいのかそうでないのか。
これはとりあえず情緒の問題ではなく意志の問題として。「恋愛できない」という事実は事実として受け止めるとして、ではそういう私は「恋愛できるようになりたい」と思っているのかそうでないのか。
これが意外にわからない。
できるものならやってみたいが、今のところそれは難しいようだ、というのが正直なところなのです。我ながら煮え切らない態度だなあ。「一体あんたは恋愛したいのか、そうでないのか」と詰問されてしまいそうですね。
恋人が欲しいと思う動機にもいろいろなものがあるでしょう。
一緒に趣味を楽しめる相手が欲しいとか、寂しさを解消したいとか、まあ一般的にはそんなようなもんでしょうけど、それらを集約すれば「感情を共有できる相手が欲しい」ということになるでしょうか。さびしいときに一緒にいたいとか、楽しいことを一緒に楽しみたいとか、辛いことを一緒に乗り越えたいとか。それが恋人が欲しいと思う最大の動機でしょう。
「恋愛に向かない人」が決定的に救われないのは、結局そういった情緒を共有してくれる相手がいないということに尽きます。
うれしいときも独り、悲しいときも独り、怒るときも楽しいときも独り。誰にも理解されず、ただ自分ひとりだけでこれらの感情と向き合わなければならない。そんな状況に置かれた瞬間に、人は「ああ、そばに誰か(特に異性)がいてくれたら」と感じるのだと思います。
「恋愛に不向きな人」に発生する最大の不利益、それは感情を自分ひとりで何とかしなければならない厄介さ以外にありません。逆に言えば、例えば友人関係などによってその問題さえ解決できれば恋人までは必要でない、と考えることもできます。
私の場合、幸か不幸か親元に同居していますので、少なくとも家族と感情を共有することができています。ただ、それが恋愛に対する精神的な妨げになっているとも言えますね。
さて、それでは一人暮らしになれば恋愛に対して積極的になるだろうかと考えてみるに、あまり芳しい答えが浮かびません。以前学生時代に一人暮らしでしたが、そのとき恋愛に対して積極的であったかと考えると、そうではなかったのです。確かに情緒不安定にはなったんですがね(笑)。じゃあ私がなんでもかんでも一人でできるもん、な自律的な人間かというと、これが全く逆ですし。
要するに矛盾しているのです。
これまで私が女性から告白されたという経験は無いですから、女性の男性を見る眼は相当確かなものだと言っていいでしょう。確かに、こんな中途半端な男を恋人にしても、女性にとっていいことなんか何ひとつなさそうです。デートのいろはも知らないし、いつもどっちつかずで頼りになんない、恨み言や愚痴ばっかり言ってて、一緒にいても楽しくないだろうなあ。
そりゃあできるもんならやってみたいですよ、せめて人並みぐらいには。恋愛ってどうにもいいもんらしい、という妄想なら人一倍たくさん持ってますし。
ただ、一方で恋愛を恐れてもいるのです。
どこかとんでもないところに連れて行かれてそのまま戻ってこられなくなるとか、これまでの自分が粉々に砕け散ってしまうというようなイメージがありますから、どうしても現実には動きが鈍くなってしまうのです。
結局は自分がかわいいだけじゃないか、と言われればそのとおりです。これまで書いてきたことも、全部「自分のこと」が中心で、相手がどうかなんてことは全く考えてませんからね。
いくら意志を強くもっても、相手のことまで考えられる余裕ができない限り、意志だけじゃどうにもならない問題なんでしょうね、これって。
|