昨日ふと思い出したこと。
スポーツのできる人に憧れたことなんて、そういえばなかったなあということ。
そりゃあ、できないよりはできたほうがいいんだろうけど、残念ながら私はそこに至るまでの努力やら練習やらが大嫌いなたちだったし、身体を動かすよりは本を読んでいるほうがいいというインドア派だった。
どんくさいものだからなかなか体は動かなかったし、練習しないものだから余計にできない。体育の授業はただの苦痛でしかなくて、よく仮病を使ってサボったりもした。
大体において、思春期には運動のできる男子がもてる。
なんたってヤツらはヒーローだかんね。なんか大会でいい成績を残したりすると全校朝礼で前に出て表彰される。いくら勉強の成績よくたって、あんなふうに表彰されたりしないもんね。目立つなあ。
私はというと、目立つのは好きじゃなかった。大抵どこにでも2・3人いた、クラスの隅でじめーっと暗い空気を作ってるヤツ、それが私だった。図書室から払い下げになった「科学朝日」やら「朝日ジャーナル」をむさぼるように読んでた。高校時代には栄えある「高校生には見えないナンバー1」にも輝いたし。そっか、それじゃあ女子から告白されるなんていうドラマチックな青春はありえないよなあ。
だから、私はアンチヒーローだ。
とにかく、なぜかはよくわからないけど身体を動かすのはイヤだった。
そのおかげかどうかは知らないけれど、いまだにボールを使う競技は野球・サッカーは言うに及ばず、ボウリングから果てはパチンコに至るまで、球形のものに対するアレルギーがなかなか抜けないでいる。
うーん、それでよかったんだろうか?
考えてみるけど、でもスポーツは今も好きではない。見るのはいいけど、するのはヤだ。コンプレックスはあっても、憧れはない。
スポーツやって楽しかった、という記憶がないんだ。案外自分に正直に生きてたんだな。
通勤時間が今までと変わって、同じ列車に乗っていた高校生を見ながら思い出した。
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