強固なロジックの無限の反復

2004年5月14日(Fri) 晴

傲慢驕慢

 突然ですが、私は自分を他の誰よりも偉いと思っています。

 …なんていきなり言われたらどうしましょう?

 普通に社会生活を営んでいるときにこんな言葉を発することはまず考えられませんが、実際には相当な数の人がそう思っているでしょう。内心でそう思っていたとしても口に出さないだけ。私だってそういう部分が少なからずあると思います。
 でも、大抵は円滑なコミュニケーションに支障をきたすので黙っています。「自分は誰よりも偉いぞ」なんて口に出したら、「おめーらの言うことなんか聞かねーよ」と宣言しているのと同じことですからね。
 でも、密かに言ってみたい。
 俺はおまえらとは違うんだ、本当はこんなもんじゃねえんだ、馬鹿にしてると後で痛い目見るぞ。
 言ってみたいですよね(笑)。
 でも言えない。だからストレートにではなく婉曲に言うのです。君らはそう考えてるかもしれないけれど私はそうは思わない、とかなんとか。
 誰だって自分の考えは正しいと思いたいものです。そうでなければそれまでの経験を、そしてそれによって作り上げてきた自分自身を否定しなければならない。それはとても怖いことです。だから人は自分が偉い、他の誰よりも偉い、と思いたいのかもしれません。
 私自身もそういう傾向はあります。てゆーか、ぶっちゃけそう思ってます。
 だって、経験はある程度人に伝えることはできても、誰かとまるごと取り替えるなんてことはできないじゃないですか。
 ひどい経験、情けない経験、嬉しい経験、楽しい経験…。どんな経験にせよ、自分の経験した出来事をそっくりそのまま誰かに経験してもらうことはできないし、誰か他人の経験をもらってくることもできません。だから、その人の経験というのは取りかえのきかないその人だけのオリジナルだといえます。
 しかし、自分は本当はそんなに偉いわけではないということを痛感させるのもまた経験です。人にやりこめられたり、失敗して落ち込んだり。
 それをバネにがんばれる人もいれば、くじけてしまう人もいる。
 私なんかはそんな時どっちかというとくじけてしまうほうですが、くじけない人から「くじけるな」なんて言われると思わずムッとしてしまいます。あんたなんかに言われたくないよ、と何度言おうと思ったことか。結局言えなかったんですけどね(笑)。

 傲慢驕慢。

 例えば自分よりも弱い者を見つけて「それじゃダメだよ」と言いたくなる気持ち。
 例えば自分には人の気持ちがわかるんだと思い込みたくなる気持ち。

 どっちも傲慢で、どっちも驕慢だけれども、でもその傲慢さが誰かを変えるかもしれない。その驕慢さが本当の共感に変わるかもしれない。
 そんな風に思えると、いいなあ。

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