祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
形あるものはいつか壊れる、とは云いながら〜ぁ。

せっかく大枚はたいて買ったプジョー206は既に満身創痍。
ここでは反省と自嘲の意味を込めて、その哀れな姿とあほな経緯をご紹介します。

その1 前肢複雑骨折の巻

 思い起こせば、そう、あれは5月の連休も終わりかけた5月8日。
 その日、夜勤だった私は、夜9時半を回ってから職場を出た。
 前月納車になったばかりのプジョー206は、ようやく私に馴染んできたようで、乗り心地も良好。前日には2,000kmの初回点検とオイル交換を終えたばかりだった。
 通い慣れた道を快調に飛ばす。
 通勤路の県道は300メートルあまりの長い直線から見通しの効かないカーブの連続する地点に差しかかっていた。
 右カーブに続き左カーブ。
 不意に対向車が現れ、私は眩惑を受けた。
 ハンドルを左に切りすぎた。
 それでも曲がりきれるという妙な自信があったのだが、死角があった。
 がつんという激しい衝撃。
 頭の中は真っ白である。そのまま30メートルあまり走り、たまたまあった退避帯にどうにか駐車。
 車から降りると、すぐに状態を確認した。
 タイヤは破裂し、外装は一部めくれ上がっている。ホイールは激しく歪み、外側にそっぽを向いていた。よく見るとドアもなんだか浮いている。不思議なことにバンパーには傷一つない。
 よほど激しい音がしたらしい、近所の人が出てくる。その人の話によるとそこは事故の名所らしく、つい数日前にも田んぼに飛び込んだ車があったとか。
 ぶつかった箇所を見に行ってみると、縁石の周辺にタイヤの破片が散らばっている。
 ふんがー、なんてこった。

 とにかく、まず電話。
 警察に電話。
 場所の説明がうまくいかないが、近所の人が近くの寺の名前を教えてくれた。
 続いて、保険会社に連絡。車検証を取り出すためにドアを開けると硝煙臭い。サイドエアバッグが開いている。
 フリーダイヤルの番号があるが、携帯からでは繋がらない。公衆電話まで100メートルほど歩いて電話する。しかし、動転しているためか電話番号を間違えた。
 そうこうしているうちに警察が到着だ。
 現場検証が始まる。
 衝突した時の状況やらなんやら、意外に冷静に説明した覚えがある。
 15分ぐらいで検証はおしまい。
「県の土木事務所にも連絡しなさい」
 とのお告げをもらう。縁石は県道を管理する土木事務所の管轄で、それにも被害を与えた、ということらしい。
 なんだ、かすり傷程度のクセに。
 こっちは足回り半壊だぞ。うがー。
 この辺りから「廃車」という言葉がぐるぐる回り始める。
 冗談じゃない、買ってまだ1ヶ月だぞ、ローンだってまだ丸々3年あるのにぃー!
 と叫んでみても始まらない。
 保険会社から折り返しの連絡。
 時間が時間なので(既に22時を回っていた)、修理工場に直接運ぶのは無理と判断した。一旦は自宅に回送してもらう旨を伝えたのだが、それだと自宅から工場までの回送費用は保険の対象にはならないらしい。しかし現場に放置するわけにもいかないので、JAFに連絡して結局自宅まで回送してもらうことにした。
 この判断は、後日やっぱり非常に高くつくことが判明するのだが、このときはそれどころではない。
 待てど暮らせどJAFは来ない。
 場所が非常に説明しにくかったせいもあるが、とにかく待った。
 40分ほど待ってようやくJAF到着。
 隊員のお兄ちゃんが同情してくれた。同情するなら金をくれ。とは云わなかったが、とにかく自宅まで回送。
 お兄ちゃんの神業で車庫に収まったプジョー206。
 どうにかその日のうちに家まで帰ることは出来た。

 さて、後日ディーラーに電話して、とにかく修理工場まで運ぶことになった。
 約80kmの道のり。
 自走不能となった206をどうやって運ぶのか、それが最大かつ最重要の課題となった。
 ディーラーにある回送用のトラックではとてもじゃない無理だろう、ということなのでここでもJAFのお世話になることに。
「広島まで回送するということは広島のほうから車を出しますが、よろしいですか?」
 よろしいも何も、他に手立てがない以上仕方がない。
 当日、はるばる広島から回送車が到着。
 ところが、車を車庫から出すのに一苦労。
 破損した左前輪に台車をかませてそろりそろりと自走させてどうにか車庫から引っ張り出すことに成功。
 その後約1時間かけて広島へ。JAFのお兄ちゃんの苦労話などを聞きながらの道中。
 とにかく工場には到着した。
「じゃ、降ろしますんで待っててください」
 と云われたので待っていたが、ずいぶんと時間がかかった。後で聞くと、載せるのはすんなり載ったのに降ろすのはえらい手間だったそうで。各方面にご迷惑をおかけしました。
 とにかく、これで入院完了。
「まあ、1ヶ月程度みててもらえれば」
 と、担当メカニックの人のコメント。
 しかし、実際には全治2ヶ月を要したのであった。

 原因は言うまでもなくスピードの出しすぎ。
 いい車に乗ると根拠もなく自分の運転が巧くなったような気がする。
 勿論、それは車の性能がいいからで、自分の技術は全く向上していない。錯覚というわけだ。
 眼の錯覚はしばしば事故の原因となるが、気分の錯覚も恐い。
 エアバッグの硝煙のにおいは、戻ってからも2週間ほど消えることはなかった。
 凹。

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