強固なロジックの無限の反復

2002年11月3日(Sun) 曇

a justification

 何ヶ月かぶりで部屋に掃除機をかけました。
 何ヶ月かぶりです。

 えーと、言い訳させてもらうとですね、別に家事能力が全くないわけではないのですよ、一応。ただ、なかなか重い腰が上がらないというだけのことなのです。本当にただその一点に尽きます。

 そんなになるまで放っとくほうが悪い?
 日ごろからやってりゃそんなに苦労もないのに?

 わかってます、わーかっておりますとも。百も承知。
 ただですね、わかっていることと行動することとはやはり別の問題なのですよ、これが。いいですか、人間切羽詰った理由がなければ行動できないわけではないように、差し迫った理由があるからといって必ずしも行動するわけではないんですよ。まあ、自覚的怠業とでも言うんですかね、わかっていながら行動しない。勿論、倫理的には最も悪質な部類に入る行動なんですがね。でも、立派な人ってどこか近寄りがたい雰囲気があるじゃないですか。それに比べてどこか欠陥のある人って親しみがわきません?片づけができないっていうのはなんだか人間臭いと思いませんか。人間は倫理的に完成されるよりも、どこか欠陥を抱えたまま、それを引きずって生活しているほうがかっこいいと思いませんか。

 でも片付けられないよりは片づけできるほうがいいじゃないか?
 片付いていたほうが何をするにも能率的だろう?

 確かに正論です。それはまさに真実です。
 しかしですよ、普段職場で能率に追われて生活しているというのに何故家に帰ってまで能率を追求しなければならないのです?家はもっとくつろげる空間であるべきです。少なくとも私の場合に限ってですが、整理整頓というのはストレスの要因でさえありえます。片付いていない状態のストレスと片付けることのストレス。なかなか後者が前者を上回ってくれないのです。

 ストレスというコストをかけてでも部屋をきれいに維持することは大事だ?
 だってきれいなら気持ちいいじゃないか?

 …(約2秒ほど沈黙)。
 じゃ、「愚行権」という言葉をご存知でしょうか。酒や煙草は身体に悪い、悪いと知っていてなお、それを続ける権利。掃除だってやらなければ身体に悪い(かな?)、悪いと知っていてもなお掃除をしない。煙草はやらず、酒も殆んど飲まない私にだって「掃除をしない」という愚行をする権利が認められてもいいんじゃないですか。人間いいことばっかりやっていたら息が詰まってしまいます。たまには愚かだとわかっている行為をわざとすることだって必要です。必要悪なんですよ、これは。

 などとだらだらと掃除をしない言い訳を並べてみたけど。
 …あーしょーもな(笑)。

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