なんとなーく三が日も過ぎてしまいましたが、今年は曜日の並びのおかげで明日ぐらいまでは暇なままでしょう。年末からこっち忙しい日が続いていたのでちょっと一息です。
私の住んでいるこんな田舎でも24時間年中無休のスーパーが出来たりして、正月でもいつもと変わりない生活ができ、それはそれで便利なのですが、そんなところに行ってもちっとも正月気分になりません。むしろ不便でいいからほとんどの店が休みのほうが非日常としての「お正月」という時間を実感させるような気がします。
一昨年の正月にも同じようなことを書いた気がしますが、正月ぐらいコンビニやスーパーが休みだっていいような気もするのです。勿論、正月に仕事がある私のような人間は困りますが、1日ぐらい不便であってもいいと思うのです。前に時間を分節化することの意義について書いたことがありました(*)が、やはり日常の積み重ねとしての1年という時間も、どこかで非日常によって分節化されないと、時間の流れがどんどんだらしなくなっていくように思います。今は日常である「ケ」の時間と非日常である「ハレ」の時間の境界が曖昧になってしまい、そのために時間の流れが速くなっていると感じることが多いように思います。
多少不便であろうとそれを受け入れて過ごすことの出来る社会のほうが、やたらと便利な社会よりもよほど成熟していると私は思うのですが、どうでしょうか?
|