強固なロジックの無限の反復

2003年2月13日(Thu) 晴

分裂状況

 昨日の続き。
 ダラダラと続ける意義はあまりないのですが、お暇な方だけお付き合いください。

 正直なところ、恋愛のできるできないは能力の問題であると片付けてしまったほうがはるかに楽なのです。以前「恋愛回避スパイラル」でも書いたように、それが生得的な能力であれば、自分が恋愛できないという事実に対して説得力のある回答が与えられ、それ以上何も考える必要がないからです。
 しかし、現在私が対面しているのは「自分には恋愛の能力がない」ということではなく、あくまで「自分には恋愛ができない」という事実なのです。
 これがただちに自我の欠陥を意味するものではないでしょうが、しかし他の男性諸氏が乗り越えた壁を前にオロオロしている自分というのは確かに未成熟なものに思えます。
 私が恋愛にまで至ることのできない原因をこれまでも色々と考えてみたのですが、最も有力なのは、自分の感情を確認することに手間取ることのようです。わかりやすく言えば「好きなのかそうでないのか」という判断ができない、ということです。
 自分が思ったことをストレートに表現できる人ならばそんな問題は起こらないでしょうが、本欄をお読みの方ならご存知のように、屈折した表現しか持ち合わせていない私のような人間は、自分の抱えた感情を理解するのに時間を要するのです。
 だいたいの場合、それを理解する頃には相手の女の子には彼氏が出来ています(笑)。
 そこまで時間をかけなければ気づくことができなかった弱い感情ですから、敢えてそこに割り込むようなエネルギーはあるはずもなく、喜んで二人の前途を祝福する、という極めて自己欺瞞的な行動をとることになります。巧妙なことに、「結果として行動に移ることができなかったのだからこれは単なる勘違いに過ぎなかった」というあと付けの正当性まで付加され、自己欺瞞に拍車をかけてしまいます。
 すぐに行動に移ることのできる男性は自分の感情に素直であり、またそれを表現することに長けているように思えます。即断できる判断力と、的確な現実認識能力を持っています(既に結婚した友人たちを見ているとそう感じます)。そういう人はもてるでしょうから不倫をする危険性もありますが、まあそれはそれでうまくやっていくのかもしれません(笑)。
 さて一方の私はどうかと振り返ってみるに、御覧のとおり、現実を歪めて解釈したり、韜晦することばかりが巧くなってしまって、とてもじゃない女性から見て魅力的には映らないでしょう。
 これをもって「恋愛の能力がない」と言えるのかどうかは判断に困るところですが、少なくとも恋愛において重要な要素が欠落している、とは言えそうです。

 この問題を克服することができれば、すぐれて実存的な体験としての恋愛が、私の身の上にも理解や把握を超越した体験として立ち現れることになるのかもしれませんが、残念ながら現実は逆方向に向いているように思えてなりません。そもそも恋愛が本当に実存的な体験であるのかどうか、それを経験していない私には判断ができないのです。
 恋愛は感情の司る精神活動ですから、こうして思考し理解することによって捉えようというアプローチでは、結局核心に迫ることができないように思います。また、「自分には恋愛ができない」という事実と向き合いつつ、一方で恋愛に「実存的な経験」という価値を与えて羨望することは、かえって自らを引き裂いてしまうおそれもあります。
 しかし。
 恋愛を諦めることもできませんし、恋愛できない自分を否定することもできません。
 当面の間(それが数年になるか、それとも一生になるかはわかりませんが)、この分裂的な状況を受け入れて生きるほかにはなさそうです。

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