強固なロジックの無限の反復

2003年3月15日(Sat) 曇

評論家的意見

 「いいひと。」や「最終兵器彼女」でその名を知られる漫画家の高橋しんさんが無期限で活動を停止される旨ウェブサイト上で発表がありました。体調の悪化など制作体制が維持できないというのがその理由だそうです。
 これまで旺盛に活動され、また一定の支持を受けてきた漫画家だけに残念ですが、内心少しほっとしています。
 高橋しん氏はマンガというメディアの特性を十分に把握し、それを表現として使いこなせている自覚的な漫画家だろうと私は思っています。時にそれは過剰とも思えるクオリティーとなって現れます。
 商業誌上で連載されるマンガは、優れたエンターテイメントでなければならず、かつ同時に読者の共感を呼ぶ文芸作品でもなければならないという、パラドキシカルな側面を持っています。マンガというメディアは、ページというフレームの縛りの中でコマの形を自在に変形させることによって映像的なリズムを作り出すと同時に、言葉と画とを組み合わせることで複雑なドラマを構築することのできるメディアであり、エンターテイメント性と芸術性という二つの欲求を併せ呑むことのできる器です。
 漫画家という職業はしたがって、芸術家であると同時にエンターテナーであり、かつ場合によってはそのマネジメントをし、制作現場を統治する管理者でもなければなりません。
 高橋しん氏が自覚的な漫画家だと思うのは、コマの隅々まで配慮が行き届いているからです。緻密に書き込まれた人物や背景の一方で、デフォルメの利いたいわゆるマンガ的な表現も多用され、そのすべてがそこで展開されるドラマに有機的に作用し、読者をドラマの中に引き込みます。読者を楽しませ、共感させることがとても巧みなのです。
 一方で、その膨大な作業量を維持するために大量のアシスタントを統率する、という作品内のドラマとは直接関係のないもう一つの仕事を同時にこなす必要もあったでしょう。漫画家という職業の困難さは、私のような凡人の想像をはるかに越えるものかもしれません。勿論、それがうまくいったときの達成感も想像できませんが。
 「最終兵器彼女」のちせがそうであったように、高橋しん氏自身は表現者と経営者という二つの属性に、常に引き裂かれている状態だったと言えるかもしれません。ちせが自らの恋を終わらせないために兵器としての属性を強めていったのと同じことが、氏の中でも進行していたのでしょうか。

 今回周囲から薦められるのでなく自ら休止を決断されたということは、何より氏が自覚的な漫画家である証左だと思います。自分や周囲の状況をきちんと把握できていなければ、自らそんな決断を下すことはできないはずですから。
 まあ、私が心配することもないかもしれませんが、やはり読者としては作品を読みつづけたいですから、その意味で無理を続けて潰れてしまうよりも自ら一度休止という形でピリオドを打ってくれるほうが安心できます。
 そう遠くないうちにまた高橋しんさんのマンガが読めることを期待しながら、ゆっくり待つことにします。

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