結局鬱な気分を抱えたまま行って来ました、友人の結婚式。
新郎がすごく素だったのが印象的でした。いつもと変わねーじゃん。
何度行っても思うのですが、結婚式というのは人生の中でも最も劇的な出来事の一つではないでしょうか。最近はライフスタイルが多様化してきて、披露宴はやらないとか身内だけで済ますとか色々な形があるようですが、それでもやはり劇的な出来事には違いないでしょう。
今の日本の社会では結婚が恋愛の延長上に置かれているということを以前書きましたが(*)、その観点から見れば結婚式が劇的でなければならない理由がはっきりします。恋愛が物語を語るという行為と同義であるならば(*)、結婚式はそのクライマックスの役目を果たさなければなりません。「恋愛」にはここで一旦エンドマークが出て、それまで「恋人」という役を演じてきた二人はそれ以降「夫婦」というまったく別の役を演じることになるのです。
したがって、結婚式は「恋愛」という物語のラストを飾るにふさわしいエピソードとして用意されなければなりません。結婚式披露宴の参列者は、したがってその最後の観客であると同時に、その祝祭空間を演出する優秀な脇役でなければなりません。ご祝儀というのはいわば観劇料のようなものだと言えるでしょう。
すべては二人がスタートさせる新たな日常のために。
ただそれが、強固なロジックの無限の反復に堕さぬことを、脇役は願うのみです。
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