強固なロジックの無限の反復

2003年5月28日(Wed) 曇

ファニーな外観

 唐突ですが。
 皆さんは着ぐるみを着たことがあるでしょうか?
 私は先日2度目の着ぐるみ体験をいたしました。
 それはもう、極めて困難な体験であると言わざるをえません。普通に生活していては味わえない、独特な体験には違いないのですが。

 普段、私たちは自分の顔と体を表にさらして生活しています。もちろん、その一部は衣服によって覆われますが、その見た目全体を総合してその人だと判断し、かつその人の内面まである程度推定できるわけです。
 着ぐるみにおいてはこの見た目の情報が著しく制限されます。中身に優男が入っていようが、おっかないおっちゃんが入っていようが、見た目上はほとんど区別できないのです。外側に表出しているのは、その中に入った個人とは関係のない、ファニーなキャラクター。
 したがって、着ぐるみを着けた状態では内面的な人格を伴った一個の個人としての振る舞いではなく、あくまで外観にふさわしい、ファニーな演技が観客から期待されます。役割期待に応えるのは健全な社会生活を営む社会人として当然のことですから、数々のオーバーアクションで観客に愛想を振り撒くわけです。特に幼児は外観が違えば本気でそれが人間とは違うものだと認識しますから、演技者はわずかなしぐさにも注意する必要があります。小学生ぐらいの子供であれば、その内部に人が入っていることを理解していますが、それが内面的な人格を持つ個人であるというところまでは想像力が及ばないものです。からかうために周りに群がったとして、これを適当にあしらうのも大人の務めというやつです。
 が、その内部では湧き出る汗と篭もる呼気によって劣悪な条件となっています。
 いったいそうまでして演技することに、どれほどの意味があるのか。
 そんな中身の煩悶をよそに、とりあえずイベントではそれなりの好評を博しました。
 しかし、その日は夜まで頭痛に悩まされ、二日はさんだ今日まで疲労が長引くとなると、果たして着ぐるみを着ることの意味とはなんだろう?と考えざるを得ません。これほど激しい重労働なのだから、きっと何か重大な、形而上の意味があるに違いない。そうでなければ、あの耐えがたい苦痛はまったく無になるではないか。Arbeit macht Frei!
 見る側の子供にとって、着ぐるみの存在意義とは何か。誰か親の立場からこれを論証できる人はいないものでしょうか?

[▼]

目次