強固なロジックの無限の反復

2004年1月18日(Sun) 曇

初めての経験

 生まれてこの方、映画やドラマを観て泣いたという経験のない私が、この歳にして初めてそんな経験をしました。
 映画「半落ち」。
 自分の妻を扼殺した警部が自首してきたものの、それまでの空白の2日間に彼は一体何をしていたのか。その謎をめぐって展開するサスペンスドラマ、ではあるのですが。
 それぞれの立場の人間が、それぞれにドラマを抱え、煩悶し、怒り、悲しみ、そして祈る、正攻法の人間ドラマなのです。原作は横山秀夫による同名小説で、監督は以前当欄でも紹介した(*)「チルソクの夏」の佐々部清(*)。主演は寺尾聡。
 いや、そんな情報はどうでもいいことなのです。
 私はこの経験をどう捉えていいのか、大混乱に陥っているような状態です。少々のお涙頂戴程度では私は眉一つ動かさぬ自信があります。古くから私を知る友人たちも一様にそれは認めるでしょう。その私が。
 でも、それだけのことはある作品だと思います。
 なんだかんだ言っても映画は人が作り人が観るもの。だとしたらその中心的な課題は「いかにして人を撮るか、人を描くか」ということ以外にありえません。そして、人にとっての中心課題は、結局のところ突き詰めれば「いかに生きるか」ということでしかありません。
 この映画はその「いかに生きるか」という問題に愚直に向き合い、「人を撮る、描く」というごく単純なようで難しい手法で見せてくれているのです。
 特殊なビジュアルエフェクトも、派手なアクションもありません。ごくオーソドックスなカメラワークで淡々と、しかし丁寧に描き出される人間模様。役者さんの演技も抑制の効いたもので、台詞の言葉の一つ一つも慎重に選ばれたことがわかります。これがじわり、じわり、と効いてくるのです。

 私たちは映画に何を期待してわざわざお金を払って観に行くのでしょうか?
 別に大仰なことを期待しているわけではないでしょう。単に暇がつぶせればいいとか、デートに行く口実だとか、日常の些事を忘れたいだとか。
 でも、人は映画を観て笑ったり泣いたりする。スクリーンに描かれる人間たちに共感したり反発したりする。もしかしたら私たちが映画館へ行くとき、無意識に「人」を求めているのかもしれません。

 とにかく、今は初めての経験に整理がつきません。興味を持たれた方は是非に劇場へ。

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