強固なロジックの無限の反復

2004年8月15日(Sun) 曇

書く必要性

 じ…時間が経つのが早すぎる!

 最近実に更新をサボっていますね。小閉鎖解除を一応宣言してはみたものの、これじゃ実相は小閉鎖と何ら変わりないような気がします。
 さて、では本欄すら更新されなくなった原因は何か(ホラ始まった…)。
 まあ、毎日朝7時過ぎに出かけて夜10時前に帰ってくるという生活パターンのせいももちろんあるでしょうが、それよりも「書く必要性が薄れた」ということのほうが、より正確なように思います。
 「必要性が薄れた」?
 なんだか遠まわしな言い方です。

 私が物を書きつづけてきた最大の動機は、なんだかもやもやした正体不明の自分の思いに言葉という形を与えて、解消・解決することはできなくてもせめて捉えやすくしようということでした。
 実際その試みはある程度は成功したといってよいでしょう。ごく私的な言葉をこうして世界中に晒すことの是非は別にして、私自身はこうして書きつづけてきたことで自分が持っている問題意識や弱点をはっきりさせることはできました。そして、同時にその限界も知ったわけです。
 いくら言葉を連ねても決して理解や把握できない種類の事柄がある。
 ごく当たり前の、そしてそれゆえに冷厳なその一点。
 これだけは言葉をもってして超えることはできません。それを可能にするのはただ一つ、自らの経験のみ。
 なんだ、そんな当たり前のことか。

 もうかれこれ7・8年前になりますが、学生時代に雑記帳に思ったことをだらだらと書き付けていた時期がありました。大袈裟に言うと、自分の進むべき道を見失って精神的に道に迷っていた自分自身の、現在地を確認するために始めたことでした。
 その頃から既に、自分の言葉というのは遠回りだなあというようにぼんやりと感じていたのですが、その理由は何のことはない、体験に十分な裏打ちをされていないからだったのです。でも、当時書いていたことを読み返してみると、そんなこと実はとっくにわかっていたんですよね。
 では、今までだらだらと書いてきたことは無駄だったのか?
 というとどうもそうでもないようです。
 雑記帳を書き始めてから何年か後にはめでたく就職も決まり、うまくいったりいかなかったりしながら、それでもどうにかこうにか毎日やり過ごしてきたことというのはそれまでにはなかった種類の経験ですし、その間に書くことも少しずつ変化してきました。だから、今書いている言葉は学生時代に書いた言葉と較べると、少しは中身があるような気がします。
 逆に言えば、言葉という形を与えなければならないもやもやした思いは少なくなった、ということです。
 だから、「必要性が薄れた」。
 ある程度整理がついてきたのです。自分にとって割と重要なこととそうでないこと、関心のあることないこと。
 ようやく10代の頃の課題にそれなりの答えを見つけることができたようです。

 しかし、よくも飽きずに自分のことばかり書いているものです。
 呆れを通り越して感心します(笑)。
 ま、そういう自分を臆面もなく認めることができるようになったのも割と最近のことですが。
 別に本欄が誰かの役に立つとは思っていませんが、もしこれを読んで得るものがあるとすれば、迂遠な人生を歩むとこんな風になるよ、という実例がわかるということ程度でしょうか。
 とりあえず、まだまだこの迂遠な人生の見本を全世界にさらしていくつもりではおりますので、どうかひとつよしなに。

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