強固なロジックの無限の反復

2004年10月22日(Fri) 晴

疾病利得

 久しぶりに恋愛について…というよりも恋愛できないことについて書こうと思います。

 例えば、恋愛に対して自然な姿勢でいることが健康であると仮定するならば、恋愛に対して晩生な・消極的な・無関心な姿勢でいる状態というのは、病気の状態だということになります。どこかが悪いんですな。
 ま、病気ですからいずれにせよ健康な状態に較べていろいろと不都合なことが起こります。なんなら症状と言ってもいいでしょう。
 例えば、自分に嘘をついてごまかしてしまう「自己欺瞞」なんかはその代表的な症例だと言えそうです。他にも周囲の言動に過敏に反応するアレルギー症状を呈したり、逆に感覚を閉ざしてしまう不感症になったりと、いろいろと不都合はありそうです。仮に「恋愛不全症候群」とでも名付けることにしましょうか。
 もちろん、病気であれば治療をすることもできるでしょう。自然治癒力で直る場合もあるでしょうし、逆に治療のつもりでしたことが病気を亢進させることもあるかもしれません。一つの症状を抑えるためにしたことが、別の症状を悪化させることも考えられますし、逆にまったく関係ないと思っていたことが思わぬ効果を上げることもあるかもしれません。
 ただ、この病気はたちの悪いことに、病識があるからといって必ずしも治療意欲が高まるわけではないということです。それぞれの症状は患者自身にとってつらいものであるにもかかわらず。
 それは一体なぜか。
 疾病利得…つまり、病気でいることでそれなりに得をすることがあるからです。
 利得、とはいってもそれは健康な状態であるときには不必要なものかもしれませんが、少なくとも病気の状態でいる限りは疾病利得が発生しつづけます。
 例えば、他者である異性と恋愛関係を築くということにはそれなりの労力と時間を要しますね。健康な状態な人でもそのことはなかなか大変なことでしょうが、この病気の人にとってはそれはほとんど不可能なことに思えます。これは不可能だ、と思えること自体が病気の人にとっての利益なのです。そう思うことによってその困難から目をそむけることができるからです。
 そう、この病気の場合、疾病利得を取り除くことが一番の治療法であり、かつもっとも困難な治療であるということができます。
 さて、疾病利得を鋭いメスで切り取ることができる有能な外科医はおられますかな?
 或いは内側から雲散霧消させる効果的な薬はお持ちですかな?
 それとも疾病利得に代わるもっと大きな利得をご用意されますか?

 結局のところ、患者自らが疾病利得と決別しようとしない限りは決して平癒されることがないのが本当のところでしょう。周囲の人間は対症療法として一時的に症状を抑えるぐらいしかできないのです。むしろこの病気、結局は本人の問題でしかないのですから放っておくのが一番いいのかもしれません。伝染性も遺伝性もないのですから、別に治療せずに放っておいたからといって特に周囲に大きな害があるわけではありません。

 ところで、仮に「恋愛不全症候群」なるものがあるという前提でお話をしてきましたけど、あくまでこれは仮定の話です。そもそも「恋愛に対して自然な姿勢でいることが健康である」という定義を前提として話を進めるとこうなったわけですが、ではもしも「恋愛に対して晩生な・消極的な・無関心な姿勢でいる状態」が健康だと仮定したら…。
 どうでしょうか?

[▼]

目次