自己責任において恋愛することは可能であるか否か。
奇妙な問いですね。
桜井哲夫著「<自己責任>とはなにか」(講談社現代新書)という本を読んでいるのですが、最初の章が「恋愛における自己責任」というテーマで書かれています。
恋愛は自己責任でするのが当然。誰を好きになろうと私の勝手だし、誰かに迷惑をかけなければぜんぜん大丈夫。もしも自分が痛い目にあったとしても、自分で選んだことなんだからしょうがないじゃない。
…こういう意見はごく普通に耳にすると思うのですが、私はそういう意見には批判的。桜井氏もやっぱり批判的。
大昔に、「恋愛は当人同士の関係性の問題に過ぎないが、結婚はその親族を巻き込んだ社会的な関係性の問題」という大袈裟なことを書いたこともありましたが(*)、結婚はもちろんのこと、恋愛だって周囲の人間関係と無関係でいられるわけではないですからね。わかりやすく言っちゃえば、相手の友人関係の中に分け入っていかなきゃならなかったり、だれかと恋のさやあてレースをしなきゃならなかったり、あるいは元カレ(元カノ)を気にしなきゃならなかったり。
いくら好きになったのは自分の責任と言っても、そんな関係になることまで折込済みで好きになることができるでしょうか?
例えば、相手の友人の中に自分の苦手なタイプの人がいる。でも、相手にとってはその人はとても大切な友達だというから仕方なしに付き合ってる、でもやっぱり本心はイヤ。そんな状態になった人に、「それは好きになったあなたの自己責任なんだから、そういう人ともうまくやるように努力しなきゃ」とアドバイスして、一体何の足しになるでしょうか? むしろ追い詰めてしまうだけのような気がします。
それに、「恋愛をする・しない」ということは必ずしも自己決定だけじゃ決まりませんよね。したいと思っていてもできなかったり、するつもりはなかったのにいきがかりでそうなったり。それはひとえに相手があることだからで、「自己責任で恋愛する」というフレーズは、実は相手の事を無視した大変に傲慢なフレーズではないのか、とも思えます。
ま、私自身は勝手に自らを「恋愛に不向きな男」と規定しているわけで、そのこと自体既に傲慢ですけど、これは相手が(今のところ)ないので「自己責任」の範囲であると言えるでしょう。恋愛しないことを選ぶことは自己決定が可能なのです。そう規定することで誰かが不利益を被ることがあるとも思えませんし。
いや、もしあるとすれば私を好きになった人にあるか。
でも、果たしてそんな人が、いるか?
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