ちょっと明るい色調がつらくなってきたので、昔の白黒ツートンカラー復活。
葬式かパトカーか、といった感じですが、久しぶりにこの色にするとなんだか妙に落ち着きます。
掲示板のほうで、「らしさ」という話題が出たので少し考えたのですが、「らしさ」なんて、わずかに表出されているほんの一部の要素からしか判断できないものだと思うのです。それは例えば着ぐるみ体験(*)のように。
その人なりの行動様式やらものの考え方の傾向やらはある程度定まっているでしょうが、しかしそれはがっちり定まったものではなくて、周囲の人に影響されたり影響したりしながらなんとなく出来上がっているものなのではないでしょうか? だとしたら自分自身、果たしてどこまで「自分らしさ」を把握できているでしょうか? あるいは逆に、自分で勝手に作り上げた「自分らしさ」の虚像に縛られて、身動きを取りにくくしてはいないでしょうか?
実は私たちは自分で思っているほど自分のことをわかってはいないのではないか。何か思いがけないことが起きたときに、突然思いもよらなかった自分が現れることがあるように。
もっとも、そう考えるのは私が無定見な男だからなのかもしれないのですが(笑)。
さて、このサイトに「私らしさ」というのはどの程度出ているのでしょうか?
例えば、昨日までのカラフルなサイトデザインと、元に戻ったモノトーンのデザイン。両者とも「私らしい」とも言えますし、「私らしくない」と言うこともできます。
ことさらに「自分らしさ」というものにこだわらなくても、「自分」というものは既にそこにあるし、その在りようを「その人らしい」と感ずるのは自分自身ではなく、その周囲にある人ではないか。つまり、「らしさ」を判断する主体は、結局自分の中にはなくて、自分の外側にしか存在しない。
だとしたら、「自分らしさ」にこだわることによって、かえって自己の内部には判断基準がなくなるのではないか、という逆説も出てきます。
しかつめらしい文体でもっともらしいことを書いているように見せつつ、その内実としては実にくだらないことを書き散らかしている本欄のタイトルが「強固なロジックの無限の反復」というこれまた特に意味の無い言葉となっているのは、ある意味とても「らしい」とも言えるのでしょうけど、ね。
|