「自分はダメな人間だ」などとただの一度も思ったことのない人が、果たしているのかどうか。
「全くもって迷惑でダメな人たちですが、やっぱりいとおしいのです」
「最終兵器彼女」第5巻P.239より
巻末のあとがきでの高橋しん氏の言葉。同作品のキャラクターについて語ったもの。
ダメな人たち、とはまた身も蓋も無い表現だ。
主人公であるシュウジ、ちせ。
その二人と微妙な関係を作るテツ、ふゆみ。
シュウジの友人アツシ。ちせの友人アケミ。
みんなダメな人たちだと、彼は断言する。
しかし、これは間違いではない。
誰か(例えばそれは好きな人、かもしれない)を救いたくて、或いは自分を救いたくて、でも結局は誰一人として救えない人たち。
誰かのために生きたいと願っているのに、その思いとは裏腹に生きてしまう(或いは死んでしまう)人たち。
伝えたい人に伝えたいことをことを素直に言えず、最後の最後までそのことを隠しつづけようとする、そんな人たち。
「最終兵器彼女」は「ちゃんとした」人から見れば、きっと歯痒くなるような人たちばかりの物語だ。愚かだ、と言い切ってしまってもいいかもしれない。
だがしかし。
人間、多かれ少なかれそういうところが無いだろうか?
自分が勝手に望んだことを相手に投影していたり、根拠も無いのに一方的にそうだと思い込んだり、或いはそんな相手の勝手な思い込みをそれと知りつつ利用してしまったり。
「最終兵器彼女」の登場人物たちは、そんな愚かさを、自ら愚かだと知りつつも読者に見せてくれる。だから、読者はこの物語を読む際、自分の愚かさをも見つめる覚悟で読まなければならない。
そう、この作品は読者をも裸にしてしまう。
もし大真面目に「自分にはそんなずるいところは一片も無い」などと声高に宣言できる人がいたとしたら、私はその人を決して信用しないだろう。さぞ立派な人生を送ってこられたんでしょうね、と冷酷に一蹴したい。
ずるいから悪い、と決めつけてしまってよいか。
倫理的に正しければ、それで人間らしいと言えるのか。
自分のことを棚に上げて「ダメな人」を非難してよいのか。
むしろそちらのほうがよっぽど「ダメ」なのではないか。
そんなことを考えた、「最終兵器彼女」第5巻。
引用文献:
「中島敦全集1」より「光と風と夢」(ちくま文庫刊)
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