たった一つのかけがえのない出会い


そのときわれわれは本来的時間性に引きもどされ、ただくるであろう可能性をぼんやり期待するのではなく、この人と(中略)これからずっといっしょに生きてゆきたいと、いわば自己を能動的に将来へ向けて企投するにちがいない。

  木田元「偶然性と運命」より


 まともに恋愛も出来ない私には、一つ疑問がある。
 恋に落ちる瞬間とはどのようなものか、と。
 どんなことを思い、どんな状態になるのか。
 なにせろくに経験のないことだから想像すらろくに出来ない。
 まあ、こういった種類の問題は幾ら考えても経験しない限りは永久に理解できない種類の問題なのだろう。そういった瞬間が私の身にも起これば、きっとたちどころに了解されるに違いない。

 それにしても、十分な経験のない身からしてみれば、「恋愛」とはずいぶんと不思議なものに思える。
 数多くいる異性のうち、好意を感じるのはごく僅かな限られた相手なのだから。
 可能性としては誰を好きになってもよさそうなものなのに、実際には好きになる人とそうでない人がいる。全世界に何十億という人がいるというのに、好意・それも特別な好意を感じるのは数えるほどであり、これまでの人類の歴史にどれだけの人がいたかはわからないが、たまたま同じ時代に生きていたその相手との出会いというのは、確率で云ってしまえばほとんど奇跡のような数字となる。ただ、逆に云えば世界中に無数にあるありふれた出会いのほんの一つでしかない、とも云える。
 すべての出会いが、たった一つのかけがえのない出会いであり、かつほとんど無意味に等しい出会いでもあるわけだ。

 シニカルに過ぎるだろうか?

 これを物語として極端に推し進めた地平に「最終兵器彼女」がある。
 この物語では多くの出会いの物語が繰り広げられるが、一つの出会いが”奇跡”になるためには、その他のすべての出会いは”奇跡”として認めるわけにはいかない。
 シュウジとちせの出会いの物語が特別であるためには、テツとふゆみの出会い、アケミとアツシの出会いのみならず、シュウジとふゆみの出会い、テツとちせの出会いも含め、この物語で展開された他の出会いの物語一切を”奇跡”と認めることは出来なくなる。これらは(あくまで物語全体にとってだが)単に「ありふれた出会いの物語」でしかないのだ。
 シュウジとちせの「たった一つのかけがえのない出会い」は、これらの一切の出会いの物語を無効化してしまうのである。後にも先にも、この二人の出会いに匹敵する出会いは出現しない。二人の出会いの物語は世界を破滅に導くのだから。
 では、この「出会いの奇跡」の先に見えるものは一体何だろうか。

 それは、第7巻p.268-9の死の荒野であり、或いは同p.274-5の無の地平である。

 「たった一つのかけがえのない出会い」が、いかに残酷なものか。
 一つの出会いを絶対化することは、無数の「ありふれた出会いの物語」が無効化され、死に絶えてしまうことを意味する。人類が消滅してしまうこの世界では、この二人の出会いの物語こそまさしく「最後の物語」なのだ。

 客観的にはすべての出会いは等しく「ありふれた出会い」に過ぎないから、「たった一つのかけがえのない出会い」が他の出会いを無効化するなどということは、現実には起きようがない。したがって、「恋か、世界か」という二者択一は明らかに成り立たないものだが、しかし考えてみれば一個人の中でなら十分に起こりえることである。ある人に恋をした瞬間、それまでの出会いが途端に色褪せてしまう、という物語は別に珍しいものではないではないか。
 ここまで考えてようやく、私のようにまともに恋のできない人間でもおぼろげに「恋をする」ということがどんなことか判るような気がする。
 恋をするというのは、例えば「恋か、世界か」という滅茶苦茶な二者択一を迫られた時に、迷いながらも「恋」を選ぶという、そんなことだろうと。たとえ二人以外に誰もいなくなっても、敢えてそれを選ぶということだと。
 いまだその境地に至らざる者から見れば、羨ましい限りである。

 世界よりも恋を選んだシュウジとちせの選択は正しかったのだろうか?恋よりも世界を選んで、手塚治虫的な「美しい自己犠牲の物語」が展開されるべきだったのだろうか?
 そんな倫理的な問いかけをしてみたくなる。
 しかし、残念ながらその問いは全く意味をなさない。
 恋愛のできない私が云っても説得力の欠片もないが、恋とはきっと正しいとか正しくないとかいうものではないのだろうから。
 恋に落ちる瞬間(そんなものがあるとするなら、だが)、その瞬間において人は世界を捨てているのではないだろうか?他のどんな人よりも、目の前の相手だけを大事にしようとする、そのことによって。

 私には残念ながら未だそのような機会は訪れていないし、また当分はそんな機会などなさそうだ。
 いつの日か、迷いながらも世界を捨てることのできる、そんな日が来るだろうか?

参考文献:
  木田元「偶然性と運命」(岩波新書刊)
  勢古浩爾「自分をつくるための読書術」(ちくま新書刊)


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