小浜逸郎著「『恋する身体』の人間学」(ちくま新書)を読みました。
人はなぜ恋をするのかという問題に、従来の哲学では抜け落ちてしまいがちだった観点を持ち込んで平明に語った本です。乱暴に要約するなら、人が恋をするのは人は自分がいつかは死んでしまう存在だと知っているからだ、ということが書いてある本です(ホントに乱暴ですね)。恋に悩む人が読んでも悩みの解決にはなりませんが、自分はDNAキャリアでしかないのかという卑小感を持っている人は、読んでみるといろいろと救いになるかもしれません。
この本からひとつ教訓を得ました。著者の論旨とはあまり関係はありませんが。
つまりペアの関係というのは、一般的な共同性の秩序を破壊するだけの暴力性をもっているということです。
そうか、ひとり身の私がカップルに対して抱くルサンチマンの正体はそれか! 街角を行くカップルはその存在そのものが暴力的なんだ(*)、別に俺が悪いんじゃねーんだ、とひとりごちている私。
…いや、だからそうじゃなくって(それじゃ「彼」と同じだ)。
そろそろ終わる夏の、はじめに掲げた「テーマ」の、成功裏には進まなかったその「テーマ」の今後の処遇について、多大なる示唆を与えてくれたなあ、と思うのです。「一般的な共同性の秩序」を重んじることにしましょう。
最早「戦後処理」の季節。それも敗戦の。
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