このところ、なんだかいろいろなものを置き去りにしてしまったような、そんな気がしています。
例えば今年の頭に古い画をいっせいに処分したときもそうですが(*)、自分の過去に誇れるものなどほとんどないのではないか、という気がしているのです、常に。
長い期間続けてきたことをやめるのにそれほど逡巡することもなかったし、その成果をすべて燃やしてしまうことにも特段の感情は湧きませんでした。すべてが、と言うと言い過ぎかもしれませんが、ほとんどはなんだか恥ずかしいもので、これを将来に残そうなどという考えはありませんでした。普通、人生のある程度の期間を占めたものにはある程度の愛着があるはずだというのに、私はそれを恥ずかしいものとしか思えなかったのです。
改めて考えてみると、私には大切にしている思い出ってそんなにないような気がします。
別に先を急いで生きてきたつもりもないですし、過去に執着している部分も確かにあるとは思いますが、これまで自分のしてきた選択を振り返ってみると、それまでの経験が全く生きないような選択を何度か繰り返しています。そのたびに過去の経験をふり捨てようとしてうまくいかずにもがいてきたというイメージでしょうか。
前に「自分が何をしたかったかわからなくなる」と書いたことがありましたが(*)、もしかしたらその原因はこんなところにあるのかもしれません。
それがどのようなものであれ、人は過去の上に立って生きているわけですが、その過去に光を当てなければ、将来に向けて進んでいくことがなかなかできないような気がします。冒頭挙げた「置き去り感」は、きっと思い出を顧みることもなく「恥ずかしいもの」として切って捨ててきたことに由来するのでしょう。そして、大事にしたいと思えるような思い出が少ないのは、きっと何か一つのことに一生懸命打ち込んだという経験があまりに少ないためでしょう。
これを取り戻すのには、いまさら手遅れなんでしょうか?
自分の過去を誇れるものに変えるためには、きっと今の自分を誇れるものにしなければならないのだと思うのですが、今はとてもそんな気分ではありません。毎日をやり過ごすのに精一杯の状態で、どうして誇りなど持てるでしょうか?
それでも毎日生きていかなきゃなりません。
せめてこれからは、もう少し思い出を大事にしようと思います。どんなに恥ずかしい思い出でも、情けない思い出でも、それを経験したのは私なのですから。
|